チョモ La ラテ (ちょも ら らて) 

2008年、前身バンド結成からわずか半年でZEPP OSAKAに出演
1000人のお客さんに凄まじいインパクトを与える。

フルセットのBAND形態でストリートライブを毎週コンスタントに敢行し
みるみるうちにファンを増やしていく。始末書の数もみるみる増えていく。

2010年、ホームでもあるOSAKA RUIDOでのワンマンライブをSOLD OUTさせ上京。
同年リリースしたミニアルバムは、ほぼノープロモーションにもかかわらず
タワーレコードJ-POPインディーズ ウィークリーチャートで1位にランクイン。
渋谷店のウィークリー総合でも名だたるアーティストと並び10位に食い込む。

2012年、ファンや関係者からも惜しまれつつBAND解散。1年間潜伏。
社会の波に厳しく揉まれ揉まれて成長した期間であった。

2013年、ソロ活動の旗揚げとして開催したワンマンライブをSOLD OUT。
その後、5度のツーマンイベントを開催。そのうち4回をSOLD OUTさせ
その勢いは止まることなく、どんどんチョモ La ワールドを大きくしている。

2014年、自身初となるフルアルバムを全国リリース。タワーレコード渋谷店の
総合デイリーチャートにて、2PMDaft Punkに挟まれ堂々3位ランクイン。
誰コイツ?とバイヤー様達の間で少し話題となる。

3月31日から5月25日にかけ、47都道府県全国横断ストリートツアー敢行
日々の生計をストリートライブでの物販の売り上げだけでまかない
1日も休むことなく昼と夜の2ヶ所、1日平均5~6時間
北は北海道、南は沖縄まで日本中を唄い駆け巡った。

2015年、30分間のライブで1曲しか演奏しないという伝説を作る
内訳 本当のディナーショーと称し牛丼完食(5分)MC(20分)演奏(5分)
年間を通しても40分のライブで2曲の日や、多くても30分で3曲等
シンガーソングトーカーの名を欲しいままにする。

2016年、2015年を反省しライブでの曲数を少し増やす(都度驚かれる)
ソロ活動後初の規模でのワンマンライブを開催 in 新宿ReNY 大成功をおさめる
以前より深い交流関係であったSHAZNAのIZAMがプロデュースを務める「オーロラタクト」への加入発表

過去にセルフプロデュースしたアイドルBANDが南アフリカのアニメ雑誌で
世界の宮崎駿氏と並び紹介される等シンガーソングライター以外の顔も持つ。
アイドルユニットやシンガーへの楽曲提供も行う。

また、デザイン等も手掛け、自身のCDやグッズ等全てのデザインを手掛ける。

2017年以降バンドマンとSSWの二足のわらじでの活動を開始し、同年代官山UNITワンマン
翌年翌々年の青山月見ル君思フでの昼夜ワンマン等を大成功させる傍ら、役者としての
才能も開花させ、IZAMが主宰を務めるベニバラ兎団の本公演「破格の七人」シリーズを
はじめ数々の舞台で活躍を見せる。

2022年、コロナ禍での日々の中、趣味が高じ映像クリエイターとしても
本格的に活動を開始する。それに伴い「大好きな場所の近くにいたい」と
茨城県ひたちなか市へ移住しさらに活動の幅を広げる。

2023年、9月2日には音楽家兼映像監督チョモLaラテとして、ライブハウスの聖地
原宿RUIDOでのワンマンライブを慣行。同日1年後RUIDOグループ最大のハコ
新宿ReNYでのワンマンライブを発表。

2024年、数々のアーティストのMVやワンマンDVDの撮影 エディットと平行しながら
9月2日のワンマンへ向けライブ本数も月10本以上に増やし怒涛の日々を送る。
結果沢山のお客様や仲間に見守られ新宿ReNYワンマンを大成功に収める。

音楽に対し掲げ続けている『笑顔の連鎖』を少しでも多くの人に伝えるため
この男まだまだ何かしでかす気がしてならない。